エッセイ

分水嶺の北側

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C-9 市川 熹

蓼科山には「ヒジンサマ」という名の山神が住んでいるという伝承があります。姿は黒い雲に包まれた球状で、その下には赤や青のビラビラしたものが下がっており、空中を飛ぶと言われているそうです。ヒジンサマが山を通ると人々は山仕事をやめるそうです(金子総平「ビジンサマ」、『民間伝承』第6巻第8号、民間傳承の会、1941年、 7頁に出ているそうです)。台風など天候不順の時の山岳地帯での危険回避を促す知恵なのかもしれませんね。

蓼科山は、南側が茅野市、北側が立科町に属している標高2530.3mの八ヶ岳連峰山系の成層火山で、日本百名山のひとつであることは皆様良くご存じだと思います。江戸時代の記録(蓼科山略伝記)では、頂は常に氷雪積もり、旧暦6月にようやく消え、8月には又降るため、参詣は6月8日から28日までに制限され、潔斎して登山しなければならず、女人は禁止されていたようです。「高木神」が山頂の祠に祭られています。高木神は、神話に出てくる造化の三神、天御中主神・神皇産霊神・高皇産霊神の中の「高皇産霊神」(タカミムスビ、高木神、皇室の至上神。「創造」を神格化した神)で、この三神は性差の無い、人間界から姿を隠している「独神」といわれています。しかし山の姿がやさしいため、現代では女神にされているようですね。

その蓼科山は、太平洋側と日本海側を分ける分水嶺となっています。八ヶ岳から、双子山、大河原峠、蓼科山、スズラン峠(旧名大石峠)、八子ヶ峰、三本松(白樺湖から蓼科牧場方向に県道40号線(ビーナスライン)をちょっと登ったところ)、大門峠、車山北側の山彦尾根大笹峰、鷲ヶ峰、和田峠、扉峠、美ヶ原にかけた線です。

茅野市は旧地名でいえば諏訪郡にありますが、北側の隣接地には北佐久郡や小県郡があります。北佐久郡には立科町(旧芦田村、三戸和村、横鳥村、望月町の一部が合併。もともと立科が蓼科より古い地名)が、小県郡には長和町(長門町と和田村が合併)などが隣接しています。佐久や小県が概ね日本海側に、諏訪は太平洋側に雨水が流れる区域になります。気候もこの線で変わり、雪の降り具合も異なるように思います。TVの全国の天気予報も、長野県は長野市の情報で代表されますが、日本海寄りの予報で、別荘地は太平洋側、東海地方の天気に似ています。積雪時期も長野市よりも、むしろ東京に近い春先ですね。

別荘地の北隣であるこの分水嶺の北側の地域を中心に、ご紹介しようと思います。

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