エッセイ
分水嶺の南側とミシャグチさま
[1/8]C-9 市川 熹
昨年の「分水嶺の北側」に続けて南側もという役員会からのお話があり、僭越ながら幾つか紹介したいと思います。
当別荘地のキャッチフレーズに、「蓼科を愛する人の蓼科」というのがありました。このところ見られなくなったのは残念ですね。 先日読んだ小説「霧の子孫たち」(諏訪出身の作家新田次郎による)は、「旧御射山(もとみさやま)」などがある霧ケ峰の中を「ビーナスライン」を通す工事に対し、遺跡や自然を守るための地元諏訪の人々の運動をまとめた実際の話です。「霧ケ峰の自然と歴史を愛する諏訪の人々」の活動が書かれています。「蓼科を愛する人の蓼科」という言葉を思い出した所以です。
この地域は、なんといっても、棚畑遺跡の「縄文のビーナス」(1986発見、1995国宝)や、中ッ原遺跡の「仮面の女神」(2000発見、2006国重要文化財)、尖り石縄文考古館などがある尖り石遺跡など、縄文遺跡が注目されます。この地区の遺跡には動物を捕獲するための落とし穴も多数見つかっているそうです。もっとも落とし穴は全て縄文のものだけではなく、鎌倉時代くらいまで色々あるようです。 またもう一つの話題の中心は、御柱で有名な諏訪大社とその関連する霧ヶ峰高原、諏訪湖でしょう。
信玄との関連はちょっと顔を覗かせる程度です。また「小津安二郎・野田高梧有縁の碑」や文人・映画俳優等の別荘、蓼科が全国で最も湿度が低い地域ということで皇紀2600年を記念して朝日新聞社が新聞などを記録として保管しているキノコのような白い建造物(文化柱)、蓼科湖の裏山の中腹の洋館のトヨタ記念館と旧東洋観光の蓼科開発などの話題、その他万治の石仏などいろいろありますが、話が発散しますので省略したいと思います。
- 前へ
- 1/8
- 次へ