エッセイ
分水嶺の北側
[2/10]C-9 市川 熹
別荘地の事務所から立科町の方向にビーナスラインを登ってゆくと別荘地北側の入口のある竜源橋から蓼科山登山口(多分蓼科登山には直登に近い一番急登な登山道の口)、スズラン峠(本来は大石峠と呼ばれ、観光用に命名されたもので、スズランはありません)を経て南平の分岐点に出ます。
竜源橋からは、滝の湯川に沿って間道を登ってゆくと大河原峠に出ます。信濃の国における古東山道(律令制以前の東山道)の位置は明らかではなく、諸説があるようですが、親湯が古くから開けた土地として坂上田村麻呂が発見したという伝説もあり、この道であったのではないかと故一志茂樹博士(元長野県文化財保護審議会会長)は考察していたそうです。しかし律令制以前と田村麻呂の時代(平安時代)の差が気になるところです。東山道は西海道に次ぐ2番目に重要な街道(いわば国道2号線)といわれています。
この間道の途中、天祥寺ヶ原(名前の由来は知りませんが、人の気配も少なく、のんびりとした気持ちの良い高原です)から分岐点を左に行くと蓼科山山頂下の将軍平小屋に出ることができます。間道をもう少し先に進み、分岐点を右に取ると亀甲池から双子池に出ることができますし、亀甲池からは大変急な登山道ですが、北横岳へと行くこともできます。双子池からは北横岳をまいて雨池へと行くことができます。雨池への道は林道で砂利の平坦な道です。
大河原峠からの蓼科山登山は、ちょっと距離があるのですが、比較的傾斜が緩やかで、将軍平に出ることができます。私はかつて幼稚園の年少組の長男を連れて、このルートから蓼科山に登ったことがあります。泣きながらついてきたのですが、帰京後幼稚園で雷さんより高いところに行ったと自慢していた様です。
南平には「べてーじん(弁天神)」とよばれる綺麗な湧水があるのですが、水源保護のため立ち入りができません。南平はビーナスラインの峠から見下ろすと平坦な森に見えますね。50年ほど昔は水芭蕉のある湿原でしたが、植林が育ち、その面影は全くなくなってしまいました。
南平から右に行くと、蓼科牧場に出ます。蓼科山の北麓一帯は昔から朝廷の牧場(御牧)として有名で、望月の牧からも毎年数十頭の名馬が調達され、天皇の御覧に供されました(駒牽)。そこでの伝承を紹介しましょう。