エッセイ
分水嶺の南側とミシャグチさま
[8/8]C-9 市川 熹
タケミナカタがモレヤ族との戦いに勝ったというのは、ヤマト朝廷側(朝鮮半島からの先進的製鉄技術を持つ)が出雲(砂鉄による古い技術を持つ)に勝ち(国譲り)、負けた出雲勢力が更に信州(さらに古い製鉄技術を持ち、それ故に製鉄に理解がある)に活路を見出したことを反映しているのだと解釈されています。諏訪湖の水は火山により金属成分が多いため、バクテリアにより水草の根に付着し、その金属成分(「スズ」と呼ばれた)から鉄を得る技術をモレヤ族は持っていました。タケミナカタはこの諏訪に逃れ、技術の面から勝利したという考え方です。
タケミナカタの「ミナカタ」や「御柱」は、製鉄の小屋の構造と関係があるのではないかという議論もあるようです。また、上社にはスズ(鉄製)を使う神使御頭(ごうしおんとう)という神事があり、神使(おこう)が「佐奈伎鈴(さなぎのすず)」と呼ばれる鉄鐸(銅鐸と違い、赤く錆びている)を持って巡回に出かけたそうです。
その他にも、信州と鉄を結び付ける事例が幾つか上げられています。古代には朝鮮半島の高麗などからの帰化人が信州に多く居住し、朝鮮語系の言葉が多く残っており、鉄関連の言葉の古代の朝鮮語で解釈可能という説もあります。たとえば「カル」は鉄を意味し、「長野」は「ナル(刃物) カル(鉄)」から転じたもので、軽井沢の「カル」なども砂鉄の出る沢などの解釈が出来るという考え方です。日本海側の地名でも同様の傾向が見られるということで、金属系学会全国大会での特別講演などでも取り上げられているとのことです。万葉集における信州の枕詞である「ミスズカル」ですが、「スズ」は鉄などの金属を意味し、「スズ」の付いた水草を刈るとういところから来たと解釈されるようです。
実は「ビーナスライン」も鉄と深い関係があります。蓼科湖の裏に露天風呂の「石遊の湯」がありますが、その付近に鉄が出るということを信玄が発見し、それ以来この付近一帯で1945年まで鉄の採鉱が行われていました。エスポワールの向かい側、蓼科ビレジの旧管理事務所の裏手に鉄鉱石の貯留施設であるホッパーが残っているようです。戦前には採掘作業に当たる240名規模の捕虜収容所もゴルフ場付近にあったそうです。低品質のため現在では廃鉱になっています。「諏訪鉄山」と呼ばれ、鉱石は採鉱現場から花蒔までは索道で、花蒔から茅野駅までは「国鉄北山線」(12km)によりSLのC1266に曳かれて運ばれました。茅野駅東口広場にC1267が展示されているのはご存知だろうと思います。C1266の代わりに同型車として展示されたものです(そのC1266は再整備され真岡鉄道で2012年10月から活躍している)。そして、ビーナスラインは、主にこの鉄道の跡地に作られたのだそうです。
(私は、一技術者に過ぎず、ここに書いた分野に関しては全くの素人です。長く蓼科に親しんできた関係から、この当たりのことを理解したいと思い、地元の方から話を聞いたり、関連文献を読んだりしたものを、参考までに書いたものであることを申し添えます。誤解の部分があればご容赦ください。なお、どなたか動植物や地質など自然に関する蓼科近辺の情報をまとめていただけるとありがたいと思っています。)
• 諏訪大社7不思議:御神渡、元朝の蛙狩り、五穀の筒粥、高野の耳裂け鹿、葛井の清池、御作田の早稲、宝殿の天滴。しかし、実際には上社と下社で重複を含め別々に七不思議が存在し、計11個が存在する。
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