エッセイ
分水嶺の北側
[4/10]C-9 市川 熹
御泉水までは蓼科牧場からゴンドラで登ることもできます。御泉水に入らずに右手前の間道を通ると七合目に行くことができます。七合目からの蓼科登山道の途中には「馬返し」や、見晴らしの良い「天狗の露台」というガレ場があり、さらに登ると将軍平に出ます。蓼科登山では「天狗の露台」で休憩するのが楽しみでした。蓼科山山頂から御来光を見るために夜中に登山を開始し、将軍小屋で休憩して山頂に行くなど、この小屋には何度も御厄介になったものです。早朝の山頂では「ブロッケンの妖怪」(自分の影が反対側の雲に映る現象)を見られることもあります。
御泉水は、もともとは蓼科牧場に放牧されている牛の水飲み場で、観光を目的に整備されたものです。私が初めて訪れた時は、蓼科牧場は現在のようには観光牧場化しておらず、第2牧場と同様に普通の牧場で、御泉水のところにも牛が水を飲みに登ってきていました。
七合目の鳥居とは反対側の間道を降りると気持ちの良い湧水があります。この水は「蓼仙の滝」に繋がっていますが、この滝へは急な道を降りなければなりません。
南平から蓼科牧場への道は、蓼科牧場で白樺湖から小諸方面に抜ける県道40号線に合流します。県道40号線(白樺湖小諸線、実延長80㎞弱、長野県で最長の県道。六川道(ろくがわみち:六川(ろくがわ)源五右衛門が明治時代に馬車が通れる程度に拡幅したので、地元ではこのように呼ばれる。誤って「ろくせんどう」とも。)は芦田で中山道と交差します。望月(中山道25番目の宿場)、芦田(26番目)、和田(28番目)などは諏訪に通じる中山道の宿場町です。武田信玄が北信地区に進出する話しには良く出てくる地名です。「棒道」はこの方面に武田軍が進軍するための軍用道路です。そういえば、白樺湖から流れ出る「音無川」は、信玄が「うるさい、だまれ!」と言ったので静かになったという言い伝えから付いた名前だと聞いています。
宿場町である芦田(本陣土屋家の客殿(1800年ころ建設)は原形で一般公開されている)には、古い旅籠の「金丸土屋旅館」があり、先代のご主人は数年前に亡くなられましたが、代が替り、最近浴場などを改装している(7月完成予定らしい)とかで、この会報が出るころには営業を再開していると思います。
蓼科牧場から芦田までの途中には、「鍵引き石」の他に、「鳴石」、「与惣塚」、「雨堺」(古くは「天坂」)などの地名が出てきます。
鳴石(鏡石とも呼ばれている)は鏡餅状に重なった二個の巨石です。昔、風が強く吹けば鳴ったため、このように呼ばれ、この石が鳴るときは、必ず天気が悪くなるといわれているそうです。