エッセイ

分水嶺の北側

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C-9 市川 熹

箕輪平と白樺湖の間の六川道沿いに「六千尺ホテル樽が沢温泉」という古い旅館がありました(私が蓼科付近で最初に宿泊したところです。現在は建物はありますが廃業したようですね)。多分「六川道」の「六川(ろくがわ)」を「ろくせん」「六千」と読み替えて命名したのだろうと思います。実際は地図を見ると、海抜六千尺とは一致しません。

以前は白樺湖から蓼科牧場を経て小諸まで国鉄バスがありました。長野新幹線完成後は白樺湖から佐久平まで千曲バスありましたが、いずれも最近ではなくなり、現在は立科町立のマイクロバス(「たてしなスマイル交通シラカバ線」(愛称「おやまちゃんバス」)が主に通学生を対象に白樺湖から芦田の間を走っています。本数は少ないのですが、シーズンの休日は増便があります。

途中に長門牧場などもあります。長門牧場はアイスクリームや自家製のパンなども発売しており、南東に蓼科山とその尾根にある「竜が峰」を見渡せる、広々とした気持ちの良いところです。

竜が峰にまつわると思われる伝承もあります。

立科山の麓に甲賀一郎、二郎、三郎が住んでいました。三郎の妻は非常に美人で、兄達はねたみ、三郎を亡き者にしようとし、立科山山中の人穴の中の宝物を取りに行こうと誘った。三郎に藤の蔓を使い穴に降りるように命じ、三郎が穴人に入っていくと山刀で蔓を切り、帰ってしまいました。

三郎は気がつくと老婆がいて、餅を与えられ元気が出てきたので、老婆の指示した方向に歩いてゆくと、娘たちに出会いました。その案内で大きな屋敷に連れて行かれ、そのお嬢様と結婚し、幸福な生活を送りました。

しかし現世が懐かしくなり、妻に話して了解を得、旅に出ました。現世の国の出口は浅間山の麓の真楽寺の池でした。池から顔を上げると、池の端の子供たちが「龍だ」といって逃げて行ってしまいまし。妻を一目見ようと立科山腹まで行くと、妻の泣声が諏訪の方から聞こえてきました。彼女は三郎が戻らず、悲しんで諏訪湖に身を投げてしまっていました。三郎は諏訪湖に行き、妻と会うことが出来ました。冬の諏訪湖の氷の山脈は妻に会いに行った跡で、三郎の龍と妻が諏訪大社の主神だといわれています。

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