エッセイ
分水嶺の南側とミシャグチさま
[4/8]C-9 市川 熹
「50年ほどもたったころ、ある夜異様な叫び声に村人は起こされた。何日も続くので村の若者が総出で声の方向に行くと、車山の頂上からであった。一人の勇気のある若者が近づくと白髪の老婆が現れた。老婆は「俺は湯川の出だ。50年間今まで天狗が湯川を荒らすのを防いできた。お前らの犠牲になったのだから食べ物をささげろ。腹がすいたから叫んでいたのじゃ」といって、頭上を飛び越えて消えた。 若者は村に帰って老人たちに話すと、「オカンが生きていたと。天狗の犠牲になっていたと。食べ物をささげねば。」そこで村人は沢山の食べ物をもって車山に登り、置いて帰ったところ、その叫び声は聞こえなくなったとのことである。」
オカンに関してはまた別の伝承もあります。
「柏原の若者が車山に薪を取りに行ったときに、「ばば」に出合い、手紙を届ける使いを頼まれて目をつぶらされ、目を開くいと八ヶ岳の頂上にいて、手紙を渡し、再び目を瞑ると車山に戻っていたということです。」
この「ばば」は「オカン」だと言い伝えられています。
さて諏訪大社ですが、良く知られているように上社の前宮と本宮、下社の春宮と秋宮からなっています。元々は別の神社だったのではないかと言われています。上社は出雲形式(本殿が無く、御神体は背後の山や木など自然物)なのに対し、下社の一つはヤマト朝廷系の形式(本殿がある)であり、神官最上位の大祝(オオホウリ)も、かつて上社は出雲系の諏訪氏、下社はヤマト出身の金刺氏(現在は共通で、一人の大宮司)だったそうです。
諏訪大社の行事として有名なのは、何といっても御柱でしょうね。長野オリンピックの開会式でも披露されました。7年に一度(数え方式なので、実は6年毎)に行われ、1200年以上の歴史があるそうです。正式には「式年造営御柱大祭」とよばれ、過去には曳建だけでなく、建物の造営も大掛かりに行われたようです。しかし現在は財政的問題もあり、例えば平成16年には、上社本宮と下社春宮・秋宮の宝殿のみが建て替えられたことのです。一方現在では御柱の意味は失われ、様々に解釈されています。上社では4月最初の金土日に「山出し」、5月ゴールデンウィークに「里曳き」、6月下旬に「宝殿遷座祭」が行われています。それぞれ下社は上社の1週間後に行われます。