エッセイ
分水嶺の南側とミシャグチさま
[5/8]C-9 市川 熹
特に「山出し」では、上社の「川越し」と下社の「木落とし」が危険なものとして注目されます。例えば現在では、「川越し」では周囲で密かに潜水夫が警戒に当たっているのが伺えます。「川越し」で公式発表では負傷者となっている方の中には、実は後日亡くなっている方もいたと地元の方から聞いたこともあります。
茅野駅の中央線東京よりの川のすぐ横に上社の御柱の「木落し」の斜面があります。坂を落とされた柱は前宮方向に曳かれてゆきます。中央高速のすぐ下で「川越し」が行われますが、その先、16号線を諏訪湖方向に行くと、左手に奇妙な建物があります。工業的に加工した素材を極力廃した板壁と土を用い、屋根からは薙鎌が突き出た建物です。江戸時代まで上社神長官を務めた守矢家の文書を保管・公開している神長官守矢資料館です。地元出身の有名な建築家藤森照信氏のデビュー作品だそうです。鹿の首(後述)なども展示されており、ちょっとびっくりさせられます。
諏訪大神(建御名方(タケミナカタ)神)は、天照大御神(伊勢神宮の主神)に命じられ出雲の「大国主命」に国譲りを求めてきた「建御雷(タケミカヅチ)之男神」(鹿島神宮主神)に抵抗して敗れ、諏訪に逃げてきた大国主尊の子供と言われています(日本書紀には記載がなく、古事記にも親子関係は書かれておらず、別の伝承)。なお、全国の神様が縁結びなどの計画協議の為に出雲に集まる10月は神無月とも言いますが、建御名方神は今後信濃から出ないと建御雷之男神に誓ったため、彼だけは諏訪に残るという伝承もありますね。それにしても古代に、なぜ遠い鹿島から出雲へ説得に行かせるというような発想がなされたのでしょうか。
先に中央構造線とフォッサマグナに関係があることに触れました。実は伊勢神宮、諏訪大社、鹿島神宮がこの中央構造線上にあるのです。中央構造線は九州山地、四国山地、近畿山地、渥美半島、明石山脈西側を経て、高遠の方から国道152杖突街道に沿って諏訪大社上社前宮辺りまで来ています。そこでフォッサマグナの断層活動により、岡谷の横河川付近まで約12㎞西にずれています。そのずれた先の付近に下社があります。中央構造線の岡谷から先は関東山地北側をグルッと回って実に鹿島神宮辺りに達しているのだそうです(北関東での位置は産業技術総合研究所がボーリングして地質調査し2006年に報告)。逆に中央構造線を南に方にたどると渥美半島を経由し、なんと伊勢神宮付近を通ります。なんとも不思議な縁です。
また、この12㎞のずれを戻して繋げてみると、中央構造線とフォッサマグナ交点の対角位置に上社と下社は接して向き合い、結びつけるかように存在しています。この「ずれ」の12㎞は、120-150万年かかったと推定されているそうです。人類が誕生・進化したと推定される期間ですね。縄文人が日本の地学的構造を知っていたとはとても考えられないのですが、偶然なのでしょうね。