エッセイ

分水嶺の南側とミシャグチさま

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C-9 市川 熹

諏訪湖は中央構造線とフォッサマグナが交差し、ずれた場所に位置していることになり、昔は現在の3倍もある広い湖だったそうです。

話しを戻しますが、建御名方神に抵抗し敗れた縄文時代からの地元諏訪のモレヤ(モリヤ)族の長の末裔が守矢家で、モレヤ族が祭っていた神はミシャグチ様(様々な自然神、精霊)と呼ばれています。

先述の小説の中の会話に「看護婦長はモリヤ族だ」という記述が説明もなく突然出てきますが、こう見てくると、その意味が判ります。また、「御射山」は「ミシャグチ」の音が転じたのでしょう。各地の御射山社にはミシャグチ様も祭られていて、諏訪大社と御射山社の深い関係も理解できます。流鏑馬など武術との関係は「御射」という言葉から連想し、武家が利用したのでしょう。

建御名方神の子孫といわれている諏訪氏が、上社の「大祝(オオホウリ)」を務め、最上位の神官として象徴的役割を担い、守矢家が実質的神官のリーダとしての神長官を務め、平和共存してきました。「大祝」制度と「神長官」制度は、明治維新で廃止されました。その後、諏方家(江戸時代、政教分離政策により藩主の諏訪家と大祝の諏方家に分離)は、直系15代に当たる弘氏が平成14年に55歳で亡くなられました。最後の「大祝」にあたる方だそうです。また現在の守矢家の78代目当主は東京で教員を務めている女性の方だそうです。神殿「大祝邸」は最近諏訪市が整備を進めています。

大社の周りにはミシャグチ様といわれる石などが祭られており、大神を守っている構図ですが、諏訪大社の主神は実はミシャグチ様であるとか、ミシャグチ様は大神の子供であるとか、様々な伝承があります。なお、前述のように上社には拝殿のみで、本殿がありません。出雲系の形式で、上社の南に聳える「守屋山」そのものがご神体となっています。

御射山に関係した新しい地名に1933年(昭和8年)に農業用水のため池として完成した「御射鹿池」があります。日本画の東山魁夷の1972年(昭和47年)の作品「緑響く」のモチーフとして有名な池です。諏訪大明神が狩りをする「神野」と呼ばれる場所にあり、ミシャグチ神に捧げるための鹿を射るという神事、御射山御狩神事にちなんで命名されました。諏訪地区では鹿は神への捧げものの意識があり、狩猟や食するためには諏訪大社から下される「鹿食免」が必要だったそうで、鹿は非常に大事にされてきたようです。

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